2009/07/18

Imagine

「日々の音色」by Sour(その1) の続きです。
http://tshfkym.blogspot.com/2009/07/by-sour.html

何故「その1」と書いたか。実は、あの動画を見たときの率直な感想はこの二つのポイントでした。
  1. 音楽の消費の仕方のさらなるビジュアル化
  2. イマジネーションの低下
まず、Sourのアンチではないことを宣言します。あの1曲で世界中に存在を知らしめたことはすごいことだし、これからのご活躍も祈ります。「日々の音色」を勝手に解釈すると、ファンや回りの人々と繋がっているという意味で、あのビデオもちゃんと関連されている。ただ、あのビデオが全く違う内容の曲であったとして、きっと同じような反応をされたと思う。
つまりどんな曲であれ、ビジュアル(特にビデオ)が優れているものほど、評価されやすくなっているとも言える。こうなってくると、視覚的臨場感が聴覚的臨場感を上回り、楽曲自体から呼び起こされるリスナーのイマジネーションを抑えてしまうことに繋がる気がする。一般人が使える映像技術はさらに発展していくだろうから、この流れは加速していく可能性が高い。さらに加えると、高速インターネットがさらに安価で普及されることからも、音楽に何らかのビジュアルをつけて、セットで配信することもより容易になっていく。そして、このセットでリスナーのイマジネーションを刺激したものが高評価に繋がり、シェア(普及)されていく。
しかし、私が思うところはここ。聴覚的臨場感によるイマジネーションに酔い浸ることができるのが音楽の醍醐味のひとつであって、上のセットだけではそれをリスナーから奪ってしまうのではと懸念するわけだ。情報洪水時代と言われている現在、聴覚的臨場感だけでは今の人は満足を得られる刺激として足りないのか。これは環境に順応していった、人間の進化だと言えるのだろうか。

2 件のコメント:

  1. なるほど、他にも、情報が一方的に入ってくるテレビの見すぎは思考能力の低下を招くことが懸念されるとも言いますよね。
    優れたビジュアル化能力は技術の進化の証しだし賞賛に値するけれども、人類の思考能力に与える影響はと考えると。。どうなんでしょうね。
    右脳ばっかり発達しそう。

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